病とともに暮らすこと。
病気のお話。(長いです)
群発性頭痛を発症して、
約半年。
その前のずっと前から
偏頭痛に(小学生の頃から)悩まされてきました。
何年かに一度、市販の鎮痛剤では、
まったく効かない偏頭痛を発症し、
それはしばらく続き、
症状は、些細な光も、些細な物音も、
微かな匂いすら、ダメになってしまう。
吐いて、
のたうち回る程の激痛に襲われます。
疲労が出ると発症する。
こんな面倒な頭痛を
気にしていたら、
まともに働けない、
生活もできなくなる。
そうやって、
限界まで無視する。
無理に笑顔を貼り付けて
周囲に悟られ、
足手まといや、邪魔にされないように
必死に隠そうとしました。
誰かに嫌われるのが怖かったのです。
嫌われたら終わり、
失敗しないように
行動は、張り詰めて
頭痛の原因である緊張を強いる。
悪循環のループにはまると
人は出口が見えなくなります。
場を取り繕うために平気なフリ。
なんでもない顔するのが上手くなりました。
元気キャラを演じる。
茶化して盛り上げようとする。
スケープゴートになる。
嗤わせなきゃ…
みんなをつまらなくさせてはいけない。
体調の悪さを悟られたり、
つまらない雰囲気にさせないように。
仲間はずれやひとりぼっちになったら、
居場所はどこにもないよ。
心配や迷惑を掛けたら、
役立たずで、
もう2度と声を掛けてもらえなくていいの?
誘われなくなる怖さから無理し続け、
自分を演じてでも孤独から逃れなきゃ。
孤独の持つ闇に引きずり込まれたら
終わり…
不調はやり過ごせばいい。
大丈夫。
気のせい。気のせい。言い聞かせます。
気のせいなはずはなく、限界がきます。
バイバイと手を振り、
顔は強張り、
辛さでどうやって帰ったかも記憶にありません。
薬は、
痛みの弱い早い段階で服用するのが良いのですが、
本音は、飲みたくない。
私は、弱くなんかないし、
気のせいだと思いたいのです。
その思いが症状を悪化させ
酷くなって服用するの繰り返し。
生活できなくなる見えない不安から、
自分を変えることができない。
さらに、
服薬後の副作用で、
心臓が早まり
起きていられなくなるのもためらう要因でした。
このまま心臓が止まってしまうんじゃないか。
それくらいに感じたし、
服用後は、起きていられず、
グッタリしてしまう。
そんなこともあり、
ギリギリのところで服用していました。
薬は、新薬のチュアブル錠。
水なしで服用でき、
ラムネ菓子のように、シュワシュワと溶けてゆく。
ほんのりと優しく甘いこども用歯磨き粉の
ような味に反したキツイ薬だなと感じながら。
でも、それももうやめよう。
気づかぬうちに、
負荷を掛けて生きて、
世間体や周りを気にして、
自分を大切にしない繰り返しに何の意味があるのか。
これじゃあ、
私が意思を持って、
生きていないのと同じではないか。
自分自身に負荷を掛け、偽って生きることを
やめる。
薬を飲むレベルになったら、
限界値に達している。
人生の仕切り直し。
「できる範囲で生きてゆく。幸せに環境を整え、幸せに行動して、幸せに暮す」
手さぐりで生き易さを見つける作業。
病は私の限界を知らせる有り難い存在、
シグナル。
私は、私の世界に存在する何もかもと
闘わない。
弱いまま、幸せに生きよう。
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